私物語

LuLu 神谷 瞳


愛知県西尾市生まれ、父、母、弟、
私の4人家族

当時は祖父母がいて、ひいおばあちゃんがいて、お花を習いに来る生徒さんたちがいて、近所の人たちもふらっとやって来る、母は21歳で私を産み、父も同じく若く、だから祖父母もまだまだ元気で働き盛り、ひいばあちゃんも驚くほど元気、私にとっては「お年寄り」ではなく、みんな現役選手だった。

家の周りには畑や田んぼがあって、野菜は畑で作り、季節になれば梅を漬け、漬物を作る。魚は釣ってきてさばく、何でも家にあった気がします。
母は幼い私と弟の世話をしながら、家事をこなし、二人のおばあちゃんの相手して、さらに人の出入りが多い家だから、お茶を出したり話を聞いたりと休む暇もない。結構大変、大人になった今なら痛いほどわかる。
たくさんの人に囲まれ、笑い声が絶えなかった家。
私の人生は、そんなにぎやかで少し騒がしい場所から始まりました。

野生児、小学生

小学校に上がるタイミングで、祖父母の家を出て引っ越しました

私は昔から、新しい環境が苦手で初めて会う人、初めて行く場所、初めての集団。慣れるまでに時間がかかる!人前に出るのも得意ではなく、何かを始めるたびに心の中で不安な気持ちでいっぱいになりました

ところが不思議なことに、一度慣れてしまうと話は別

意外とアクティブ、近所の友達と外で走り回る、木に登る、虫を捕まえる、意味もなく探検する。いたずらをして怒られる、休日はおばあちゃんの家に行き田んぼや畑、用水路で泥だらけになって遊ぶ、野生児。

運動神経抜群、スポーツマンタイプ母に、どんくさいね〜と言われ続け、ずっとそう思って育ちます
でも考えてみると、長距離走では一番か二番になることもあったし、別に運動神経が悪かったわけじゃない?
スポーツ万能な人から見たら、世の中のほとんどの人はどんくさいです

母は美容師で髪の毛は母に切ってもらっていました。母方のおばあちゃん、ひいばあちゃんも美容師でおばあちゃんは自宅で美容院をやっていたのでそこで髪を切ってもらったり遊んだりしていました。靴を脱いでスリッパを履くスタイルの美容院。ヘアスプレーの匂いやパーマ液の匂い、美容院の匂いが好きでした。何よりおばあちゃんがお客さんと楽しそうに喋ってる姿をみて何て楽しそうなんだろう!こんな仕事があるんだ!子供だった私は呑気に夢見てしまいました。

中学生気づく

勉強はもともと苦手でしたが、中学生になるとさらに苦手になりました。で、気づきます
集団行動が苦手
一応みんなに合わせるけれど、心の中はいつもどこか別の場所にいました。
言葉にして表現することが得意ではなく頭の中で考えることが好きなのでよく、ぼーっとしていて小中と先生には「何を考えてるかわからない」と、言われていたそうです。後に母から聞きました。
そんな私でしたがテニス部に入り、毎日真っ黒になりながらボールを追いかけました。
体を動かすのは嫌いじゃないけど基本は家が好き。ダラダラして、寝るのも好きでした。

勉強に身が入らずに時は過ぎ高校受験、将来のことなんて特に何も考えてなくて「近いし、ここでいいかな」そんな感じで学校を選びました。もちろん人生はそんなに甘くありません。希望した高校は不合格、適当に選んでいた別の高校に合格。でもその高校、
見学にも行っていませんでした。かなりの行き当たりばったり人間、そんな高校生活が始まります

ギャルとは無縁な高校生
勉強が嫌いだった私にとって、普通科じゃなかったのは救いでした
被服、保育、食物など、ちょっと変わった専門分野を学ぶ学校へ
実は第一希望ではなく、第二希望
でも、入ってみたら案外悪くない
ギャル全盛期時代、ミニスカ、ルーズソックスにギャルメイク、目の周り真っ黒、まぶた真っ青、ハイビスカスをいろんなところに散りばめる
全く興味なく、むしろすっぴん。でも見た目は関係ないんですよ
同じような空気感の人たちがいて、なんだか居心地がいい「無理して合わせなくても大丈夫かも」と思えた場所でした。そして何より、一生の友達と出会えたこと、自分と同じ気持ちの人たちがいただけでうれしかったです。
授業中に手紙書きあったり、ビンゴゲームしたり、次の休みまでのカウントダウンで日めくりカレンダー作ったり。今思えばいたいですね。学校は苦手だと思っていたけれど、この頃は少しだけ「学校生活も悪くないな」と思えました。

アルバイトで見た現実
高校生になり知り合いの美容師さんの紹介で美容室でアルバイトをしました。そこで見たのは、キラキラした美容師ではなく現実
髪をはく、洗い物をする、タオルを洗う、干す、畳む、しまう。ここまでは想像がつきました
とんでもなく忙しい美容室で、終わったと思ったらまた洗濯、洗い物、流し台はいつもあふれていて大洪水、とにかく無限ループ
お店は常に満員、お客様は次から次へと来店「これ、いつ終わるの?」と思いながら土日、ひたすら働く、帰るころには無。
正直、思っていた美容師とはだいぶ違った、
社会の厳しさを知ります
ですが一度始めたことはやり通す性格で、先生に見つかり停学になるまで続けました
黙々と洗い物をする、今思えばあれが私の美容師としての原点だったのかもしれません

いよいよ高校生活も最後の1年、なりたいものも見つからず、就職先を探すのもなかなか大変
私の人生に当たり前のように身近にあった美容師。母は自宅で美容室を開いていたので自然と自分もなるんだろうな、とぼんやり思っていましたがとうとう現実に。
というか、いろいろ考えるのが面倒くさくなりました。
結局、一番現実を見せてくれたバイト先に就職を決めます
今思えば、こんな私を雇ってくれたことに感謝しかない。

美容師への道
美容専門学校には行かず、働きながら通信教育を選びます。
理由はシンプル、「もう学校には通いたくない」、そして通うのも「遠い」
これが大きかったです
就職したのは町ではそこそこ大きな美容室
セット面10席以上、シャンプー台5台、スタッフ10人以上、そして同期が5人
集団行動が苦手で、できれば目立たず生きたい私「これ、大丈夫かな…」と不安しかなく
迎えた初出社の日、同期5人は全員キャラ濃い、しかも見事にタイプがバラバラ
「なんだこのメンバーは…」やってしまった、と思ったのを今でも覚えてます
でもこの時はまだ知る由もない
このクセ強メンバーと、これから何年も濃い時間を過ごすことになるなんてね。


現実はそんなに甘くない
私の記憶、おばあちゃんは楽しそうに美容師をしていたんです。
でも、いざ自分が働いてみると、
「なんかやっぱ違う」となる。朝は練習から始まり、営業後も練習、休みの日は勉強会。
気づけば美容室にいる時間のほうが家より長い
忙しい日はお昼も食べられず、トイレも後回し、当時はそれが当たり前でした。
家が大好きな私はストレスMAX。

スタイリストになるためにはカリキュラムがあり、練習してテストを受け、合格したら次へ進む。
普通なら2年くらい。でも私は普通ではない、超マイペース。競争心もあまりない。不器用ではないけれど、周りが器用すぎて、気づけばいつも最後尾「早く追いつこう!」より、自分のペースでコツコツ
その結果、安定のビリ。さらに口下手でコミュニケーションも苦手でやる気がないわけじゃないのに、やる気がない人に見られて。これでよく怒られました。
ただ、美容の仕事自体は嫌いじゃなかったし、もともと何かを作ったり、デザインしたりするのは好きだったので何とか続けられました。
後は、同期の存在がとても大きくて最初はすごく不安でしたがみんなと気が合い一致団結していて気持ちが分かり合えて、一緒に笑って、喜んで、愚痴を言ったり、悩んだり、私には心強く本当に助けられました。彼女たちがいなければ今こうして美容師として仕事ができていないと思います。休みの日もよく遊んだり家族よりも一緒にいた時間は長かったです。
そんなこんなでスタイリストになれたのは同期の中で最後、2年半くらいかかりました。
華々しいデビューではなかったけれど、
これが私らしい美容師人生のスタートでした。

私はペリー
同期とはまだ完全に打ち解けてないころ、勉強会へ行くため車に乗っていた時の事。私は乗せてもらっていたのでぼーっと外を見ていました。朝の通勤ラッシュ、大きな橋の上で渋滞。天気は快晴、橋から港が見えていてめちゃくちゃ大きくてまっくろな船がとまっていたんで思わず・・ペリー来航だ。
ぼそっと、独り言。なのに、運転してた同期がツボに入ったようで。何がそんなに面白い?ずっと言ってる。これがペリー誕生の瞬間。
勉強会で別の車組と合流、速攻で言いふらされる。さっき船見てペリー来航だって~
終わった。そこからです、みんな面白がってペリ~!
18歳の私は全然嬉しくない、おじさんじゃん。失礼。もっとこう・・違うのあるじゃん。
なのに黒船、浸透スピード半端なくお店のスタッフにも一瞬で広がり、社長や奥さんまで、ペリ~!
街中で呼ばれ恥ずかしい、そのうち本名を忘れられ仕事の資料にまでペリーと書かれる。
人って慣れるんですね。今では本名で呼ばれるのがくすぐったいし違和感。
※ちなみに日本人です、ちっとも似てません。41歳になった今でも元気にペリーです。

スタイリストになった、その先


国家試験に合格、スタイリストデビュー
ついに目標達成。
「やったー!これでゴール」…ではありませんでした。むしろここからが本番。本当に週末は忙しくどんどんお客様が来店、新人でも関係なくどんどんお客様を担当する。本当にたくさん失敗したし、怒られたし、へこんで悩み。でも待ってはくれない、とにかくがむしゃらにやりました。とにかく経験値をつみました。でもサロンの一員である以上、売上も作らなければいけない、18歳の頃には見えていなかった現実です。
美容師の仕事は好きでした。お客様に喜んでもらえると本当に嬉しかったし、頑張れました。でも、それだけではダメで、売上が伸びない時期もありました。数字として表れる現実。これを見るとさすがに同期との差を感じることもあり、落ち込むこともたくさんあって美容師がつらくなることもありました。
電卓とにらめっこが日常、美容師は技術だけじゃないことを知りました。大きなサロンだったので、新しい技術、新しいメニュー、新しいルールや勉強会もたくさん。店舗も増え、人も増え、どんどん組織になっていく。それはとても良いこと。
でも私の中では少しずつ、「あれ?なんか学校みたいだな…」という感覚が大きくなっていきました。もともと集団行動が得意ではない私、何とか合わせながら働いていました。気づけば後輩も増え、管理職という立場にもなりました。自分なりに頑張ったし、やれることはやった。でもどこかで無理もしていました。態度に出てしまうことも。
私は美容師がしたくて、管理職になりたかったわけじゃない。もちろん運営や教育も大切。でも何かが違う。私には向いてないかな、そんな違和感がどんどん大きくなり、管理職をやめました。
このころから「私は何がしたいんだろう」そんなことを考えるようになっていました。
美容師になれば全部うまくいくと思っていたし美容師になった先のことは何も考えていませんでした。何度もやめようと思っては先が見えず、飛び出す勇気もなく社長としゃべらない時期があったり。段々と人も入れ替わり若い層が増え年齢的にも上のほうになり、同期もみんないなくなり1人残り、居づらくなっていきました。広く付き合うタイプではなく一人でも平気な方だったので淡々と仕事をしていました。
何年かこの状態が続き、結婚して1人目を出産するまで15年勤めました。
最後はあっけなく終わりました。一番ビリだった私が同期の中で最後まで残りました。頑固でひねくれて変わり者の私がまさか最後までいるなんて社長はびっくりしていたかな。

でもあんなにたくさんのお客様を担当させていただけて、いろんな景色をみせてくれたことに感謝しかありません。確かな技術と何よりも数えきれない経験が今の私の自信になっていることは間違いありません。同期5人にも巡り合えた!一生の宝です。

次のステージへ
本当の意味で美容師として何がしたいかを探すのはここからだったのかもしれません。1人目を出産し休んでいる時、ふと。あーもう無理、と思い立ち、あっさり退職。育児という未知なるものに悪戦苦闘、2つのことをバランスよくやる自信がなく。一旦、育児に専念しました。少し落ち着いた時に、別の環境で美容師として通じるのか?試したくなり、あっさり転職。不安もあったけどすごく新鮮な気持ちになれて、私を知らない人たち、すごく働きやすく環境にもすぐ慣れ、通じたんです。あ、どこでもやれるんだ!ほっとしました。
1年半ほどで退職。やはり仕事と育児の両立が大変で少し休憩。その後、15年務めた美容室が大人女性をターゲットにした店舗を開いておりスタッフもママさんがほとんどで働きやすさに魅力を感じ今の自分に合っていると思い再び就職。ここの店舗もかなり忙しくアシスタントメインで働きました。スタイリストとは違った経験ができ良い勉強になりました。

決断
美容室の客層は40代以降、メニューは白髪染めが圧倒的に多かったので毎日カラーを塗布する日々でした。毎日していると気づくことがあって、お客様の多くは自分に時間をかけれてキレイにされていて美意識も高く、身なりもきちんとしていておしゃれな方が多かったです。だから白髪もきちんと染める。とにかく隠したいからいつもと同じで。髪はおしゃれより隠す?なぜか義務的な感じがしました。美容室に来るのも義務?ちょっともったいない気もしました。髪だってもっとおしゃれにできるし美容室は新しい自分になれる、わくわくする場所なのではないのかな?そう考えるようになりました。
もう一つ気になったのが変化していく髪と頭皮、お客様をみていて感じました。
白髪が増えて気になりだすと染める周期も早くなり気づいたら1か月に1度。1年で12回、頻度が高くなるほど、頭皮や髪に大きな影響を与えます。髪質が変わって扱いにくくなり、頭皮のトラブルも増えます。最初は仕方のないことなのかな、と思いましたが、段々とこれでいいのかな、と思うようになりました。その頃、2人目を妊娠。体調が優れずコロナ禍ということもあり早めに休みに入りました。一旦仕事のことは忘れ育児に専念。でもふと仕事のことを考えたり。
家にいる時間が長く、じっくり自分と向き合うことができました。ゆっくりすると見えてくるものもあるんですね。
ここからは早く、気になっていることを調べまくる日々。初めて自分から考え行動しました。今まで与えられてばかりの人生、家族や会社、仲間、職場での立場に甘え、守られ。
何もなくなって、やっと気づきます。遅。今まで感じたことのないい意欲。やれる!
母は察し、そっと背中を押してくれました。この店で美容師やればいい、子供は面倒みるし、お金も借りたらいい。頼れるとこは頼る!割り切る。即決でした。
やる!
タイミングという風を掴み、、乗ったら後は風任せ
ほんとに淡々と事は進み、やると決めて1年経たずにお店をリフォームしOPENしました。
下の子が9か月の時でした。人間その気になればなんでも出来るんですね。

〜美容師として目指したいもの〜


お店をオープンする準備をしながら、改めて考えました。
私はどんな美容師になりたいのだろう。髪をきれいにすることは美容師として当たり前のこと
でも、「きれい」とは何だろう。
見た目が整ってること?
若く見えること?
私自身も年齢を重ね、体はもちろん髪の変化を感じるようになってわかった事

表面的なケアだけでは限界があることを。もちろん外側からのケアも大切、でも本当に大切なのは、内側から整えることではないか。
今だけのきれいではなく、5年後、10年後も髪と頭皮を守りながら、おしゃれを楽しめること
健康な髪と頭皮を維持すること、そんな美容を届けたいと思うようになりました。
そんな時に出会ったのが「ミセルカラー」でした。白髪の悩みから生み出された新しいカラー技術
白髪を隠すための白髪染めでもない、ただ明るく染めるおしゃれ染めでもない
白髪を活かし、魅力に変えていくデザインカラーです。これまでの美容業界では、
「白髪=隠すもの」
「白髪=老けるもの」という考え方が当たり前でした。でも本当にそうでしょうか。
白髪があるからこそ生まれる透明感、白髪があるからこそ表現できる色
白髪はマイナスではなく、これからの自分らしさをつくる素材になる。私はそんな可能性を感じました。年齢を重ねることを恐れるのではなく、変化を受け入れながら、自分らしく美しく歳を重ねていくそれが私の考えるこれからの美容です。年齢を重ねることは、決してマイナスではない
白髪を隠すのではなく、活かすという選択。
白髪の数だけ、美しくなれる
もう一つ、白髪をきれいに魅せるには髪質です。40代以降の髪はとてもデリケートです、健康な髪にするには頭皮も大切です。内側、外側、両方をケアしていく必要があります。
自分が本当に「良い」と思える、納得できるアイテムをずっと探していました。
私の髪は、太くて硬い。量も多く、広がりやすく乾燥毛。うねるクセもあり、湿気にも弱くてまとまらない。子供のころからコンプレックスがありました。
大人になってからはヘアカラーをしたりブリーチを繰り返したり良い状態のときはあまりありませんでした。
トリートメントはいろんなものを試しましたが一時のものが多く髪は良くならず。どれも似たような感じで私の中では信用してない部分もありました。

そんな時に出会ったのが「たも」さんのサイトでした。
髪の構造や仕組み、髪に必要な成分、ダメージが起こる理由まで徹底的に追求された内容に衝撃を受けました。
見れば見るほど引き込まれ、「もっと知りたい」と初めて心から興味が湧いたのを覚えています。
「これなら私の髪も良くなるかもしれない。」そう思い、勉強を始めました。
それまでは、トリートメントはつければ良いもの、縮毛矯正は真っすぐになれば良いものだと思い込んでいました。だからどれだけ色々なものを試しても、私の髪は思うように良くならなかったのです。学べば学ぶほど知らないことばかりで、「今まで何をしていたんだろう」と思うこともありました。
でも、今からでも遅くない。
しっかり学び、その知識を誰かの役に立てたいと思うようになりました。
そして、実際に学んだことをもとにアイテムを取り入れ、毎日自分の髪をケアしていくと、本当に変化を実感できました。
扱いやすくなり、広がりにくい、アイロンしなくてもいける、毎朝のストレスが減った!
それは感動といえるものでした。何より日に日に髪が良くなる!毎日ケアするのが楽しくなりました。
そして縮毛矯正に対する考え方も変わりました。ただ真っすぐにするだけではない。
髪の状態を理解し、できるだけ負担を減らしながら、扱いやすく美しい髪へ導いていく。状態によっては髪質改善トリートメントで改善できる。
私の考える頭皮と髪を守りながらおしゃれも楽しむ!提案をこれらを使って誰かの役に立てられたらなと思いました。

2023年、LuLuオープン
今の私の美容師としての考え方の土台は、この出会いから始まりました。

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